プレッシャーからの解放 (2022/9/7)

パートナーがこの金曜日に
「セクシャルコミュニケーション講座」
というのを開催するということで、


昨晩、カフェで彼女と逢って、
「で、内容は固まった?」
って感じのノリで講座談義をしていた。

♀うん、内容は、かくかくしかじか。

♂なるほど、それは相手の男にとってはうんぬんかんぬんかもなあ。
そこはああだこうだってことも話した方が
いいかもやで。

♀そうやなあ、考えてみる。

ってな話を2時間ほど。

♂で、キミの最近の投稿(「花が開くように」)
では、あの時のセックスがエラく良かった、
って書いてるけど、

ホンマにそんなに良かったんか?

何か、ヨイショしてないか?

♀良かったよ〜。
アンタ、それ私に何回言わせるねん。

♂何回も言わせたいのが男心や。

・・・

以前の投稿にも書いたのだけど、

何故あの時のセックスが彼女にあんなに
絶賛されたのか、
いまだに自分でもわかったようで
わかっていなくて、思い出すたびに
振り返ってしまう。

・・・

私がセックスすることが楽だと感じ始めたのは
挿入後極力動かずに静止しているという
ポリネシアンセックスを覚えた頃だ。

何が楽なのかと言えば、
挿入後動かずに相手を抱きしめている
というのは、一切のテクニックを放棄したと
いうことで、

それは、
テクニックのウマいヘタという評価を
一切されることがないということだ。

やはり、
男は心のどこかで自分のセックスの
技術を相手にどう評価されているのか
気になってしまうのだろう。

しかし、
技術を一切使わなければ
評価のされようがなく、

そのプレッシャーからは
良くも悪くも解放される。

でも、それだけの話ではなく、
テクニックを使ったり体を動かしたりする
ことに脳みそのバッファが使われないから、

抱きしめている相手の女性を感じ取ることに
脳みその全エネルギーが使われる。

相手を感じさせることではなく
相手を感じ取ることに
脳みそが向かっていく。

この意識の転換ができたことが
ポリネシアンセックスを覚えた最大の
恩恵だった。

その転換をして以来、
自分では何もしていないつもりなのに
相手の女性の反応が劇的に良くなった。

自然なセックスって、
そういうものかもしれない。

そして、その後に気づいたのだけれど、

何もしない、というのは
ゼロなのではなく、

全力で相手を感じながら
抱きしめているということで、

女性にとってはそれが
いちばん理想に近いもののようなのだ。

そう思えば、

男が女性とセックスすることを
女とヤル
っていうけれど、

女を抱く
という言い方は映画の世界になっていて、
現実には死語になっているような
気がする。

しっかりと抱きしめられている女性が
減ってきているのかもしれない。

・・・

女性に気持ち良くなってもらいたいから
テクニックを身に付ける、というのは
一見、殊勝な考えに見えるけれども、

実は女性からの評価を得たいという
下心があることは否めないのではないか。

それは、
相手のためとか言いながら、
実は自分のエゴを満たしたいという
お為ごかしが入っているのではないか。

そういうものに対する女性の肌感覚は
男が想像する何倍も鋭い。

ごまかしは効かないから、
ごまかそうとせずに
素の自分で接するしかない。

ただ、
それにある程度慣れてしまえば、
テクニックはサプリメントかスパイスの
ようには使えるようになるものだけど。

物事は、順番が大事だと思う。