セックスは聖か俗か、という話 その1 (2022/10/5)

前のパートナーと別れて
現在のパートナーと付き合い始めるまでの間、
マッチング難民をしていたんだけれど、
 その時に一風変わった性癖の主婦に出くわした。
私の言うことにいちいち反論してくるので
感情的には可愛げのない奴なんだけど、
反論がいちいち知的なので、
理性的には面白い奴やな、と思って
しばらくメールで談義していたことがある。
談義の中で、
当時私はポリネシアンセックスは
ある程度実践していたし、
アダム徳永氏の影響も多少受けていたので、
「聖なる性」について話題に出すと、
案の定、
「いや、私にとっては性は俗なるものですね。」
と反論してきた。
彼女の性癖の話を聞いていたら、
確かに俗にまみれとるな、って感じだったけど。
まあ、ここで、
セックスは聖なるものか俗なるものか
などという野暮な判定はするまい。
・・・
話は変わるけど、
古代ギリシア人の言葉では、
「愛」という意味の単語が少なくとも
8つあったようだ。
エロス 情欲的な愛
フィリア 深い友情
ルダス 遊びとゲームの愛
アガペー 無償の愛
プラグマ 永続的な愛
フラウティア 自己愛
ストルゲー 家族愛
マニア 偏執的な愛
あらゆるパートナーシップで
この8つ以上の愛がそれぞれのブレンド割合で
配合されていて、
時の流れとともに
ブレンド割合がシフトするのだろうけれど、
かつてのトレンディドラマなんかで
「愛してるの?愛してないの?」と言われて
男が答えに詰まる、という場面がよくあったのは、
日本語には「愛」を表現するボキャブラリーが
足りてない、ということだったんだろう。
同じ言葉で表現されたら同じものだと思って
しまうし、違う言葉で表現されたら違うものと
認識できる。
言霊の呪縛というのか、
ボキャブラリーの豊富さって大事。
・・・
だとすると、
セックスを表す言葉も、複数あっても
いいはずなのです。
少なくとも、
刺激的なセックスと、
幸福感のセックス、
見た目としてはよく似た行為なんだけど、
脳みその中で起こっている化学反応や
分泌されるホルモンが違うのだから、
違う行為なんです。
ということで、違う言葉で表現することにすれば、
冒頭に書いた、
セックスは聖か俗かなどという
しょーもない議論は最初からなかったはず。
つづく。