性と愛のエナジー (2022/10/1)

私が私淑するマスター、
タオイストのMantak Chia先生曰く、
 ハートは愛のエネルギーを生み出し、
性器は性エネルギーを生み出し、
性と愛のエネルギーが融合すると
それは何倍にも増幅し、
分泌腺を活性化し覚醒を促す、のだそうだ。
それは随分と単純化された言い方だけど、
実際、性エネルギーと愛のエネルギーは
互いに影響して生み出しあっているような
気がする。
Mantak Chia先生は性エネルギーを使って
空間からエネルギーをハートと性器に降ろす
(チャネリングする)っていう表現を
使っているし、
アダム徳永氏も天の気を降ろすといった
ような意味のことを言っているけど、
異次元空間のことは受け入れる人と
そうでない人がいるので、ここでは
私の体感を踏まえた肉体次元に近い話に
絞っておきます。
・・・
ハートが愛のエネルギー、
性器が性エネルギーを生み出すというのは、
体感からも納得できるけど、
ハートのエネルギーの出入口になっている
のは、肉体次元だと唇と舌だと思う。
だから、キスをするとハートが
動き出す。
で、それだけではなくて、
性器のあたりでエネルギーが活性化すると、
そのエネルギーは上昇して
ハートも満たしていく。
性器を重ねた上で、
勃起を保つのに必要な最低限以上の摩擦をせずに
エネルギーの交流に意識を向けていくと、
性エネルギーが増幅して仙骨から背骨を
上昇し、ハートを満たしていく感覚がある。
私が風俗の姫相手にポリネシアンセックスを
修行した後に付き合った女性は2人だけ、
現在のパートナーと前のパートナーだが、
奇しくも2人とも、私が同じ体感を
感じたタイミングで「好き。。」という
言葉が口から出ている。
それは個々の恋愛感情の高まりというより、
重なった性器から性エネルギーが上昇して
ハートに達したタイミングで起こるものでは
ないかと思う。
実は、この「好き。。」という言葉は、
パートナーの口からだけではなく、
修行中に風俗の姫の口からも、
同じようなタイミングで出たこともある。
さすがに姫と客との間柄なので、
ストレートに「好き。。」ではなく、
姫の口から出た実際の言葉は
「これ、好き。。」だったが、
エネルギー的に起こっていた
ことは、パートナーとのセックスのときと
似たようなものだったと思う。
それはいわゆる恋愛感情とは限らなくて、
性エネルギーが上昇してハートに達した
現象なのではないか。
パートナーとのセックスでは、そこに
キスが加わるので、
ハートに上下の口から愛と性のエネルギーが
挟み撃ち的に流れ込むのだろう。
そして口から発した「好き。。」という言葉が
さらにハートを満たしていく。
・・・
それの応用編がオーラルセックスなんだけれど、
ハートに愛のエネルギーが満ちた状態で
オーラルをすると、ハートのエネルギーが
口腔内を通して相手の性器に浴びせられる。
AV界の巨匠、代々木忠監督の言葉に、
「いちばん気持ちいいフェラチオは、
女性がしたくてしたくてしかたなくて
してくれるフェラチオだ。」
というのがあるけれど、
私もそれに激しく同意する。
唇や舌を巧みに使ってテクニカルに
攻められるフェラチオも確かに気持ちはいい
のだけれど、
その際に女性が、
ああしてやろう、こうしてやろう、
こうすれば気持ちいいはず、という
思考を働かせていると、
それは単なる性感帯の摩擦刺激の快感に
終わり、快楽の消費と射精欲に繋がっていく。
対して、女性がハートに愛を込めて
リンガムを咥えたまま唇はほとんど動かさず、
舌は腸の蠕動運動のように自然な動きに任せ、
ハートからの愛のエネルギーを含んだ吐息と
たまに舌がリンガムに軽く当たる、
くらいのフェラチオだと、
強い快楽はないけれど
リンガムに愛のエネルギーが流れて
幸福感が増幅し、
それがまた性エネルギーの増幅に
繋がっていく。
私のパートナーも、クンニのときは、
「舌をヨニに当てたまま動かさなくていい」
と言うことがある。
もちろん、舌を完全に固定するのは難しいから
呼吸にあわせて、もしくはリラックスしていると
舌は自然に微妙に動くけれど、
ハートからの愛のエネルギーが口腔内から
出ていると、その程度の動きで十分に気持ちいい、
というか、幸福感を感じるようだ。
その組み合わせでのシックスナインならば、
お互いにテクニカルなことに意識を向けずに
エネルギー交換が続くから、
有る程度時間が経つとお互いに恍惚としてくるし、
感情が解放されていく体感がある。
・・・
ポリネシアンセックスを修行して以来、
そういったエネルギー交流としての
セックスの側面を、体感を伴って多く学ぶことが
出来たような気がする。
私のパートナーが理想とするセックス観は
「とろけるセックス」なんだけれど、
その「とろけるセックス」というのは
性エネルギーと愛のエネルギーが融合して
増幅していくことが根底にあって、
性感帯への刺激というのは
それに対する調味料に過ぎないような気がする。
世間で性感帯の知識や性感帯への刺激のしかた
についての知識が広まるにつれて、
本当に心身がとろけるような幸せなセックスと
いうものが激減しているのではないか。
皮肉なことに。
性感帯への刺激は、確かにその瞬間には
快感があるけれど、
性愛のエネルギー交流が起こると、
快楽よりも幸福感が強いものになり、
その幸福感はある程度持続する。
そして、
過度な性感帯への刺激は、
性愛のエネルギー交流に意識と体感が向かう
ことを邪魔することがあり、
時には性感帯刺激がかえってストレスに
なることがある。
セックスで得るものが
性感帯刺激による射精やオーガズムではなく
愛のエネルギーと性エネルギーの交流や増幅だと
捉え直したとき、
生殖を目的とするもの以外のセックスの
最適なあり方も違ったものとして見えてくる
ような気がする。