料理の極意 追憶 (2022/1/29)

昨日の投稿で、
おいしいおにぎりの作り方の極意
っていう話を出したのだけど、
 それで思い出した話が数々。
おにぎりを握るときに、
おいしくなーれ、おいしくなーれ、と
念じて、その意識をおにぎりに
浸透させると、
そのおにぎりに込められた思いが
食べる人の口の中にひろがる。
おにぎりって、調理技術の差がほとんど
出ないものだから、込められた意識の
違いがモロに出るものなんだけれど、
これは全ての料理の極意なんでしょうな。
私が20代の時に、
取引先の社長の奥さんから
ランチにお呼ばれされた時に聞いた話。
ある日社長が、奥さんが作った夕食を
ひとくちふたくち食べて、いきなり
バーンッとテーブルを叩いて、
オレに何を食わす気や!
と激怒したらしい。
奥さんは、一瞬でその意味がわかって、
ごめーん! と頭を下げたとのこと。
見た目は普通の夕食だったのだけれど、
その日はいろいろ考え事があって
気持ちの上で思い切り手を抜いて作った
食事で、社長は一瞬でそれを見抜いた
んだとのこと。
昭和が色濃く残る家庭だったんだろうけど、
それっくらいの敏感さがないと社長は
務まらんのかな、と思った思い出。
あの話って、ただの世間話だったのか。
奥さんが当時若者だった私に何かを
伝えたかったのか。
それからのことを思い起こすと、
とある料亭で懐石料理を食べたとき、
里芋の煮物から、
「お越し頂き、ありがとうございます。」
という声が聞こえたような気がしたことがある。
スペインの小さな町のレストランで
パエリアを食べたときに、
料理人の「誇り」のようなものを
感じたことがある。
クレープシュゼットを食べたとき、
美味しさを通り越して、その後3時間くらい
フワフワと幸せな気分になったことが。
いつもいつもそういうものを
食べられたらいいのだけれど、
コンビニ弁当を食べると
プラモデルを食べてるような気がするし、
昔の職場の社員食堂には
食べれば食べるほど腹が減るという
不思議なカレーというのもあった。
こんなことをいちいち感じてると
生活に支障が出るから、感じないように
してるけど、
食べるものは脳を直撃してきますからね。
コンビニの「握られていないおにぎり」
だけじゃなく、ちゃんと握られたおにぎりを
たまには食べていきたいものです。
・・・
セックスの極意だって同じなんですよ、
たぶんね。
好きな女性を前にして、自分を大きく
見せたいとか、テクニックで感じさせたい
とか、しょーもないことを考えるのでは
なく。
おいしくなーれ、おいしくなーれと
念じながらおにぎりを握るのと同じように、
しあわれになーれ、
気持ちよくなーれ、
うれしくたのしくなーれ、
と念じながら、相手の女性に自分の意識を
溶け込ませる。
かなり以前の投稿で、
私にとってクンニは、相手の女性の悦びを
願う祈り、
と書いたけれど、
祈りという大仰なものではなく、
こんな感じなのかもしれない。
その瞬間が気持ち良くなるセックスと、
終わった後にずっと余韻が残るセックスとは、
そのあたりの違いなのかもしれないなあ、と
最近になって思う。