セックスと肌感覚 (2022/1/29)

私が30代の時だったか、
飲み会の席で同年代の人妻と性愛談義になり、
 その彼女は、夫とのスキンシップの重要性を
強調してた。
で、パートナーとのスキンシップって
大事だよね、と同意を求められたんだが。
半分は同意、半分はうーむ、って感じで。
・・・
大事なのは意識の交流のはずなんだけど、
スキンシップがことさらに重要になるのは、
意識の形というものが、肌の形に
縛られているからかもしれない。
実は、身体は離れていても、意識の交流は
できるはずなんです。
意識って、皮膚という境界線を超えて
どこまでも広げられるものだし、
どこへでも飛ばせるものだから。
遠隔ヒーリングや遠隔気功が可能なのは
そのためなんで。
セックスにしても、最初は肌の触れ合いや
肌感覚への刺激から始まるけど、 
それは前菜みたいなもので、
最終的には肌感覚が邪魔になったりする
のではないかな?
肌感覚というのは、互いの身体を隔てる
境界線みたいなものだから、
セックスで最終的に溶け合おうとした時は
むしろ肌感覚は消さないといけない。
互いの肌を超えて互いの意識が混ざり
合ってほしい。
意識の形や大きさは、肌の形とは関係なく
自由に変えられるものだから。
だから、アダムタッチをしている時も、
肌感覚の上では触れるか触れないかの
フェザータッチなんだけど、
意識は手先を超えて相手の身体に深く
入り込んで行く感じなのだろう。
スローセックス理論ではそれを控えめに
「指と掌から気が出る」って言ってるけど、
気は意識を向ける方向に出るものだから、
同じことを無難な言い方で言ってるんだと思う。
遠隔に飛ばせる意識というものが、
目の前の女性の体内に入り込めない
わけがない。
それが出来ないのだとすると、それは
意識の形が皮膚の外型に閉じ込められている
かのような固定観念のせいではないか。
意識の形は、身体の形からはみ出すことが
できるのだから、
ちんこでは膣奥までしか届かないけど、
意識では女性の脳天まで貫くことができる。
物理的な接触は肌で遮られるけど、
意識は混ざり合うことができる。
全ては意識の持ち方次第。
じゃあ、どんな意識を持ってすれば?
ふと思い出したんだけど、
おいしいおにぎりの作り方の極意。
おいしくなーれ、おいしくなーれ、と
念じながら握るのだそうだ。
掌からおにぎりに意識を入れる。
これ、全ての料理の極意だけどね。
これって、
セックスの極意にも通じるのでは。
気持ち良くなーれ、
幸せになーれ、
うれしくなーれ、
と念じながら、
意識で撫でて意識で抱いて意識で貫く。
そこでは、肌感覚を介しながら
肌感覚を消しに行く。
・・・
話は戻りまして。
スキンシップというのは、重要なようでいて、
さほどに重要でもないようで。
やたらとスキンシップが出来るのは、
一緒に住んでる夫婦だからだよ。
ご馳走様。と思いながら話を聞いてた。
重要なのは、スキンシップ、肌感覚を超えた
意識の交流じゃないか、って気がする。