性欲の因数分解 その2 (2022/1/2)

男が射精頻度をコントロールして
精が充満するとムラムラ感がやって
きますが、
 そのムラムラ感を噛み締めて味わうと
それは必ずしも性交欲だけではなく、
様々なエネルギーが渾然一体となった
ものであると感じられます。
そのエネルギーのひとつ、
「博愛のエネルギー」について。
これは人それぞれの性エネルギーの
強さによって違ってくるでしょうが、
一番最近の射精から3日程度で
放出された精液の補充が終わり、
生殖に十分なほどの精子が蓄えられます。
そのあたりからムラムラ感がやってきて、
多くの男はこの3日間程度以内にまた
射精をするわけですが、
ムラムラ感が来た時に呼吸法などにより
それを股間から頭部まで上昇させ、
全身に循環させるようにすると、
股間のエネルギーは収まり、
全身に力が漲る感覚を覚えます。
しかし、呼吸法によるエネルギー循環で
ムラムラを収めることができるのは、
私の場合は約100日間までです。
27歳でオナ禁を始めてから長い間、
私の最長記録は98日でしたが、
私にその100日の壁を越えさせたのは
「祈り」でした。
呼吸法ではムラムラを処理できなく
なったとき、私は無意識に何かを祈りました。
それは、「万物の幸せ」だったと思います。
自分や、自分の身の回りの人々とかではなく、
万物、全人類の幸せを祈る意識が湧き上がり、
わけもわからず万物の幸せを祈りました。
そうすると、いままであれだけ
私の身体の中で暴れていたムラムラ感が、
すうっと空間に溶けて消えていく感覚が
ありました。
精をためることで襲ってくるムラムラ感は、
祈りにより博愛のエネルギーに転換される。
言い換えれば、
博愛の意識状態に意識や身体が慣れれば、
性交欲つまりヤリタイ欲は中和されてしまう
ということなのかな、と思います。
ヤリタイ欲と博愛の意識は、同じエネルギー
が転換されたもの、かもしれぬ。
キリスト教や仏教その他の諸宗教で、
聖職者や僧侶に禁欲が課せられていたのは、
そのせいなのかもしれぬ。
これは自分の身体で感じ取らないと
なかなか文字では理解しにくいことだけれど。
性のパートナーがいないとき、
いてもなかなか逢えないとき、
ムラムラ感を排泄するのではなく
博愛のエネルギーに転換することが
できる。
パートナーと逢えたときには、
それをヤリタイ欲にスイッチしてもいいのだけど、
ヤリタイ欲だけではなく、
その何割かを、相手を抱きしめる博愛のエネルギー
にして女性を包み込んでもいい。
博愛のエネルギーに転換した分だけ
激しいヤリタイ欲は穏やかになり、
相手の女性に合わせたペースで
セックスを楽しめるようです。
それは、別にセックスの時だけではなく、
普通に女性と接するときもそうです。
パートナーに限らず。
ヤリタイ欲を漲らせて女性と接するのか、
相手の女性の幸せを願う
博愛のエネルギーで女性を包み込むのか。
もとは同じエネルギーでも、
時と場合と相手によって、付き合い方や
使い方は工夫した方がいいかと思います。
ヤリタイ欲には、イザという場面に
なるまでは、パンツを履かせといた方が
お互い幸せですし🤣🤣🤣
但し、ムラムラ感が来たからといって
頻繁に射精しまくるのは考えものです。
若い人には禁欲のし過ぎも考えものでは
あるけれど。
必要以上の射精が習慣になっていると、
そもそもそのエネルギー自体が枯渇して
しまうので。
you tube その他で、オナ禁するとモテた、
という都市伝説が多く語られていますが、
それは、
それまで必要以上にヌキ過ぎていただけで、
射精をセーブすることで、その人が本来
持っていたエネルギーや魅力が回復した、
というだけの話だろうな、と思います。