温故知新 (2022/9/16)

最近、you tubeで、
イマドキの30代バンド女子が
 昭和の大スター、沢田研二
往年の動画を見て
「うわぁ、すげーかっけぇー!」
と悶絶してイッてしまう動画が
シリーズのようにアップされている。
確かにねー。
ピンであれほどのカッコ良さ、セクシーさ、
歌の上手さを放てる歌手は、
今は絶滅しているような気がする。
男の子も女の子も、アイドルは
グループでのセット販売になってるしね。
歌手だけではなく、
昭和歌謡は歌詞が短編小説や抒情詩のようで、
とにかく言霊が美しい。
日本歌謡の歌詞を文学から
現代アートのようにしてしまったのは
私は思っているけど。
ピカソの絵のような不可解な歌詞が
溢れる中で、いきものがかりなどは
抒情詩の言霊を感じさせていたものの、
昭和歌謡に比べると
多少テクニカルなところもあるな、
と思う。
先日、とある駅前で、
若いストリートパフォーマー
昭和の名曲「[いちご白書]をもう一度」
を歌っていて、
そこにはおじさんやおばさんかと思いきや、
10代から30代くらいの女子が
集まって聴いていた。
妙にテクニカルな曲が溢れた時代に生きる
彼女らにとっては、
短編小説や抒情詩のような
昭和の歌がかえって新鮮なのかもしれない。
・・・
熱いセックスをしたあと、
ふと口ずさみたくなる昭和歌謡は、
ここでメモリーというのは
「記憶」というよりは「名残り」。
愛のメモリー」というより、
パピ訳としては、「甘いセックスの余韻」。
熱く交わってひと眠りして、
ふと目覚めたとき横に彼女がまだ
眠っていて、
余韻としてオキシトシンが満ち溢れている、
という感じの、なんだか幸せを感じる抒情詩。
ここまで照れがないと、
さわやかなものだと思う。
先日、パートナーに、
「キミは本質的に乙女やねんから、
照れ隠しに卑語を使うのはやめとき。」
と言ったことがあったが、
自分の思いをどストレートに表現することは、
年齢を重ねるごとに難しくなるものかも
しれない。
変な駆け引きや照れ隠し、ディスり合いが
横行する現代、昭和歌謡の言霊の真っ直ぐさは
温故知新のようで、かえって新鮮に感じてしまう。