教科書との付き合い方 (2022/7/3)

アダム徳永氏のオンラインスクール「男塾」で
学んでいる男が、とあるトークの中で、
「スローセックスかジャンクセックスか」
 という言い方をしているのに、ものすごく
違和感を感じた。
ここで、ジャンクセックスという言葉は
AVのような激しいピストンセックスを
指しているものとして、
じゃあ、そこで語りたい対比とはいったい何なのよ?
って突っ込んだら、彼は何と答えるのだろうか。
AVのようなセックスでも心と情熱を通い合わせる
ことはできるし、スローセックスでも女性は全く
満足せずに男が独りでドヤってることもあろう。
何をもってジャンクと言っているのか。
だって、センセーがそう言ってるし、
そう答えたらテストでマルがもらえるんだもん、
などと、ええ歳した男が思っているのだとすれば
そこに深い闇を感じるなー。
・・・
教科書は、ものを考えるための素材としての
知識を得るためのものであって、
考え方や価値観を授けるものではない。
自らの体感や経験に知識を重ね合わせて
自分の考えを組み立てる力がないままに
教科書に書かれていることを真実であるかの
ようにシタリ顔で語る奴って、
ええ歳こいて気持ち悪い。
教科書に書かれている価値観は、真実ではなく
ポリティカリーコレクトな考え方であって、
生身の人間の体感とはかなりのズレがある。
・・・・
ついでに言うと、
アダム徳永氏の女神論もそういうもので、
すべての女性は女神になる可能性を秘めている、
その可能性の扉を開けるのは男の役割、
などと言ってると、誰も反論はできない。
まさにポリティカリーコレクトの世界。
しかしね、人間の女性は女神であると同時に
メスでもあるから、女神論を真面目に語る男に
子宮は反応しないのよ、たぶんね。
・・・
アダム徳永氏が女神論を語ることには何の問題もない。
彼はビジネスに長けた憎めない生臭坊主だという
ことは、誰もが知っているから。
ビジネス面の才能も、憎めなさっぷりも
生臭さも坊主っぷりも突き抜けている。
だから彼が女神論を語っても違和感がないというか、
突き抜けた生臭坊主の説法だと思って
聞けば良いのだけど、
その話を聞いただけの凡人が、
メスの扉を開けるのも心もとないのに
女神の扉を開けてやるみたいなことを
言ってるのは少なからず痛々しい。
・・・
女神の扉の前にはメスの扉があるのです。
メスの扉をちゃんと開けなければ、
本来の女神性って、なかなか出ないと思う。
それに、
女神論を語ることには何のリスクもないけど、
メスの扉に触れるのはリスクを伴うから、
男の力量が問われるのは、そっちなんです、
たぶんね。
メスの扉を開けるには、男がちゃんとオスに
ならないといけない。
自分の生臭さを隠しながら耳障りのいい
便利な言葉でごまかしているうちは、
なかなか扉も開かんよな、って気がする。
気取って女神論を語るよりも、
君のオッパイ、吸いたいねん。と言った方が
女性は女神になりやすいんじゃないかなあ、
と、私は思うけどね。