男言語と女言語 (2022/3/25)

パートナーとのピロートークで、彼女が、
「ホンマに、40代50代のオッサンって、
 きったない人が多いでー!」
と言うのを聞き、
それは私も他人事として聞けないので、
「そやなー。昭和生まれの男は
男は外見じゃなく中身だよ、という宗教とともに
育ってるせいか、外見だけを飾るのを良しとしない
傾向があるのかもしれんな。
でもそれは、外見のハンディを逆転するほどの
中身を持ってなければ、言ってはいかんな。」
「そやねん。それに、中身がある人は、
だいたい外見もきれいよ。」
うーむ。女子の男子に対するシビアな目を
見せられた気がする。
「しかしよ、どこからどうみても垢抜けんオッサンに
ハマる女性というのも、たまにおるよな。」
「わかる。知り合いの綺麗な女性の彼氏が
デブなオッサンだった、というの、ある。」
「あるよなあ。あれって、包容力なんやろな。」
ここで、「男は見た目じゃなくて中身」について再考。
「中身」と言われたら、男は、
能力、話題の豊富さ、経済力、ユーモア等々の
ことだと思って、そういうのを身に付けようと
努力して、身に付いたらドヤー、となるのだけど、
女性は、そういうのは中身ではなく付属物だと
思っていて、
そういう付属物はいくらか持っていることを前提に、
中身というのは
付属物をドヤー、と見せてくる奴か、
付属物は持ちながら内面は空っぽで相手の全てを
受け容れる包容力を持っているかで決まる、
と思っているフシはないだろうか。
男は中身、と言われて
中身ドヤー、というのは努力の方向性を
間違っていて、
オッサンの勝負どころはそこにはなくて、
いかに自分を無にして相手の女性を
受け容れて抱擁できるのか、っていうところに
あるような気がするなあ。
それに、最低限の外見とニオイのケア。
それをしないのは、相手に対する配慮という
中身がないってことになる。
オッサンに対する
女性の眼は厳しいものであるがゆえに。。