伝家の宝刀 (2022/3/10)

私のパートナー、1年半ほど前から
男の禁欲、オナ禁について熱く語り始めた
のだけれど、
 その語りの中でしょっちゅう
ちんぽ、ちんぽ、という言葉を連呼している
せいなのか、
彼女に、「ボクのちんぽ見て下さい」という
メッセージとか、いきなりちんぽの
写真を送りつけてくる男が数多くいる
ようで、彼女はよくお嘆きになっている。
なんで男の人って、こんなに
ちんぽ見せたがるんやろ?
とお悩みだったんだけど、
ふと、私は彼女に尋ねてみた。
なんでヒトって、
パンツをはいてるんやろか? と。
・・・
ネット上で遭遇するだけの女性が相手だと
なんのしがらみもなく、したがって
文明社会の掟まで忘れてしまうようで。
逆に、文明社会の掟なるものを
取り払ったら、オスはメスに近づく時に
自然とちんぽを見せるのではなかろうか?
だとすれば、やたらちんぽを見せたがる男
というのは、変態な性癖というよりは、
しがらみがないがゆえに野性がでているだけ
ではあるまいか。
・・・
そう思ったとき、学生時代に栗本慎一郎氏の
「パンツをはいたサル」という怪書(快書?)を
読んだことを思い出し、
本棚を探ってみたら、まだ捨てずに置いてあった。
その書物によれば、
「ヒトは、非日常的な瞬間により大きな陶酔を味わう
ために、日常生活の中ではパンツをはき、秩序を守り、
労働に励んで、性を遠ざけたのである。
・・・日常的生活と非日常的生活の両面の対立が
なければ、ヒトの社会は成り立っていかないのである。
ヒトは、このように、非日常的な瞬間にそれまでに
ためにためた過剰を一気に蕩尽させるために
パンツをはくようになった。」
とな。
この説が正しいとすれば、
パンツというのは、お楽しみの時の楽しみを
増幅させるためにはいている、という
とてつもなくエロい話になるし、
ヒトは本能的にはパンツを脱ぎたいもの、
ということになる。
だから、イザという、パンツを脱ぐべき場面に
遭遇できなければ、パンツ脱ぎたい欲が
爆発してしまう。
それが、ネットで知り合っただけの
しがらみのない女性にちんぽを見せたい
欲求の正体ではあるまいか?
などと、パートナーと「伝家の宝刀」談義を
していた。
伝家の宝刀は、イザという時にしか抜いては
いけなくて、やたらと振り回すものではないわな、
と。
・・・
この文明社会においては
女性の前でパンツを脱いでちんぽを見せるには
それなりの手続というものが必要なので
ありまして、
義務教育の保健体育と社会科で
「文明社会におけるちんぽの見せ方」
という学習単元を
設けないとあかんような気がするな。
少子化対策は、経済対策だけではなくて、
教育分野からのアプローチも重要ですぜ。
などという、よしなしごとを
つれづれなるままに思ふのである。